アトリエ・エビスの歴史

1980年
黎明期

日曜画家の父「故弘重醇」が、恵比寿のワンルームマンションで、20名ほどの付き合いの良い仲間達を集めて作ったのが、このアトリエの始まりです。講師は画家の卵たち。事務機器は電話一台。人物画好きの父の影響で開校当初からクロッキークラスや人物クラスがたくさんあるとても贅沢なアトリエでした。

1990年代
恵比寿がおしゃれな街に変貌

その後、会員さんも増え、雑居ビルの3階に引っ越しました。この頃はバブル真っ最中で、人々の気持ちも上向き。着飾って仮装パーティをしたり海外スケッチ旅行に繰り出したりしました。それでも静かな街「恵比寿」でしたが、ようやく1994年に恵比寿にガーデンプレイスが出来、その後埼京線も開通し、うってかわって賑やかでおしゃれな街に変貌しました。

2000年~
日本画クラスオープン

2000年に絵画クラスをPART1の現在の場所に移し、旧アトリエは人物専用アトリエとしました。さらに、旧アトリエをPART1近くに移転し、日本画クラスも開講しました。アトリエの充実とともに、もともとお祭り好きであった先代オーナーの影響で、バライティー豊かなワークショップやスケッチ旅行、展覧会を、何か理由をつけては開催し、皆様と共に楽しいアートライフを送ってまいりました。

2004年
「弘重ギャラリー」誕生

先代オーナーの築50年の自宅を改装し、その名前をとって「弘重ギャラリー」を開廊。9年間皆様の身近な発表の場となりました。数々の楽しい展示を開催し、その中からカップルが生まれるなど、色々な楽しい出会いやドラマが有りました。

2010年
「アトリエ・オモ3」開校

東京一オシャレな街表参道に、プレミアムな姉妹校「アトリエ・オモ3」を開校しました。日本画教室を恵比寿から表参道に移して日本一の本格的な設備と奥行きの深い指導を目指しました。恵比寿の人物専用アトリエでは週18クラス、毎日人物クラスとクロッキー教室を開講するようになり、絵画を学びたい方々にとって他にはない充実した教室となりました。

2014年
「アトリエ・ミタカ」開校

地域密着型の姉妹校として「アトリエ・ミタカ」を開校しました。アットホームであたたかな教室となっています。また、イベントは姉妹校と連携して行われるため、絵友達の輪が広がり刺激も多く、楽しみも倍増の教室になっています。

2016年
「ART CUBE EBIS」開校

今や一番住みたい街となった「恵比寿」に、全てがアートで満たされた四角い3階建ての建物を作りました。地下は展示スペースとして天井高さ3㍍のギャラリー専用のスペースを作りました。1階はカフェギャラリーで、楽しみながら絵を鑑賞できるスペースを意識しました。


2階には4版種(シルクスクリーン・リトグラフ・銅版画・木版画)を刷ることが出来る版画工房を作りました。


3階には大型作品を制作できる「画室」を作りました。ここでは「アートアカデミー」を開催。トップスキルを求めえる方たちのための「リアリズム塾」では、超一流作家を招聘しています。公募団体に属している講師の「ゼミ」では、公募展やコンクールへの出品等、さらなる表現を求める方たちのためのクラスを開講しています。

美しく、創造性豊かに。
何より楽しく描くスペースを目指して約40年

絵具を白いキャンバスの上にのせるときのドキドキ感、版画を刷り上げるときのワクワク感。そして皆で発表しあうときの充実感。トータルで楽しめる「絵が大好き!」な人々が集っているのがこのアトリエです。
「アートを通じて人生を彩り豊かなものにする。」を実現するために歩んできた約40年。デッサンも油彩も水彩も描いてみたい。人物画も風景画も静物画も経験したい。さらに日本画も水墨画も、できれば版画もやってみたい。抽象絵画もリアリズム絵画も面白そう。皆知り得るならば様々な表現をしてみたいと考えている。そんな皆さまのやりたい、そして皆に見てもらいたいを叶える欲張りなアトリエです。

創設者 故弘重醇について

初代オーナーが常に大事にしてきたモットーは「楽しく生きる」でありました。ダンディーな帽子をかぶり、パイプを燻らし、特に絵画を通じて色々な方たちとの交友を深めました。周りの皆様にはその楽しみを分かち合える類希なる才能の持ち主でした。数多くの個展やグループ展を通じて、独特の「ヘタウマ画」で皆様と喜びを共にしてまいりました。「上手く描く」事に全くとらわれないその境地は、絵画を愛する人々にとっては到達点と言えるでしょう。

おまけ

アトリエにはアイドル犬がいます。名前はコタロー。教室やワークショップに時々参加して皆さまをお迎えしています。どうぞ宜しくお願い致します。